1. 教育、勉強、学習、研究、私たちは何を選べばよいのか

「学校教育(Education)が私の学習(Learning)を邪魔することを、私は決して許さなかった」— マーク・トウェイン
「義務で学ぶ者は、学んだことをすぐに忘れる。しかし、愛(熱意)を持って学ぶ者は、それを決して忘れない」— レオナルド・ダ・ヴィンチ
「思う」と「考える」
「学び」とは「思考」の一部です。「思考」には文字通り、「思う」と「考える」という意味が含まれています。「思う」は言葉にならなくても心情として持てますが、「考える」は言葉として整理した表現になります。
数字計算のように「思う」ことなく「考える」ことはできます。人間は「思う」と「考える」という2つの働きを混在して表すことがあります。これは自然なことですが、コミュニケーションをとるときには伝わらないこともあります。
「学び」をどのように解釈するかは、「思う(思い)」と「考える(考え)」を分離して考える方法と、同時並行で解釈する方法、そしてどちらでもない場合の4つに分類して考察する必要があります。また、状況と環境によっても異なることも加えなければなりません。
4つの分類とは「思う」と「考える」の組み合わせになります。
- 「思う」と「考える」が同時
- 「思う」だけ
- 「考える」だけ
- 「思う」と「考える」の不在
「教育」と「教育制度」
「学び」には、本能的な学びと後天的な学びがあることを#2.1.0.の記事で示しました。一般的な「学び」の表現として「教育、勉強、学習、研究」の4つの形態について考察してみます。
「教育」は「学び」の代表的な形態で、「学校教育」をはじめ、「家庭教育、組織内教育、社会的教育」のように環境によって教育方法も教育内容が変わります。特に学校教育は制度化されており、標準教材(教科書)が定められる場合が多いです。
標準教材で定められる「学び」には上限と下限が設定されており、学力として評価されます。同じ環境でも個人間に差が生じるのは、能力差もありますが、環境や標準教材との適合性(マッチング)もあります。集団教育だけでなく個人教育とのバランスが必要になります。
「教育」について考えなければならないのは、教育そのものではなく、教育制度についてではないでしょうか。現在の時代が変わる速さを考慮して、既存の事項に加えて、未来に役に立つであろう知識と先見性が必要です。
「学習」と「勉強」
「教育」と比較されるのが「学習」です。そして、本来は「学び」に対する姿勢や態度を表すのが「勉強」ですが、学びの成果を向上させるという意味で使われています。日本では一生懸命、一所懸命とあらわされます。
「勉強」には「努力と忍耐」を要するともいわれます。これは何も「学び」に限ったことではありません。むしろ「思考」のもう一つの分類である「思う」にも「努力と忍耐」が必要になります。「勉強」が教育や学習に使われるようになったのには理由があります。
過去の「教育」と「学習」の中心は知識の記憶と定着、同系統の知識内での応用に限られていました。現在の環境に合わせると、定型的な情報の「インプット→記憶→加工→アウトプット」の直線的な繰り返しになります。
これを繰り返すには、情報が高度化し、複雑になり、量も増えるとなれば、おのずと処理能力の限界を超えるので、「努力と忍耐」が必要になります。その結果、得られた「学びの力(学力)」は賞賛されますが、得られない場合もあります。
「学習」と「研究」
「教育」と「勉強」が外発的な「学び」への対応を表すとすると、自発的な「学び」と考えられているのが「学習」と「研究」です。「学習」は自分が関心を持ったことに対して、情報収集と蓄積を行うことと考えられていました。
学習は個人で行うだけではなく、学習の方法を指導する方法論を伝えることへと変化し、「学ぶ」は「学び方」を学ぶに変わってきています。特にビジネスでは、方法論を提示する書籍やメディアが増え、学習の対象も関心から成功へと変わってきています。
これは「学習」がコスパやタイパと同じように、費用対効果、時間効率の対象になり、ますます個人の関心から遠ざかってしまいます。学習の究極の形態である「研究」も影響を受け、長期的な研究投資が避けられるようになっているのが現状です。
一方で、莫大な投資が行われているのが、「思考」の「考える」を対象にしたAIへの研究です。ビジネスとしての先見性のために投資を行っていることも確かですが、人間の思考への「努力と忍耐」の忌避への代償になっているのかもしれません。
AIの「思考」
AIの普及は人間の思考法にも大きく影響してきています。難解なことは、「まずAIに聞いてみよう」となっています。無料で利用できるAIビジネスは、難解なこと、即解なことだけではなく、思考するきっかけさえ失われているように思います。
「思考」は人間特有の能力であるという理解から、部分的にAIが代行できる理解しなければならない時代を迎えています。これは誰でもが同じ思考を行えるということではありません。同じ電車に乗れば、誰でも同じ場所に同じ時間に到着できるのとは異なります。
AIの回答は、過去の人間の知識の集大成であり、未来へ向かう思考機器ではありません。コスパやタイパで得られたメリットは、必ずしも人間の思考や行動のメリットになるとは限らないのです。「思考」の中の「思う」はないのです。
このAIによるパラダイムシフトが起きている現在において、一人一人が今一度、人間の「思考」についての見直すことが、現代における「学び」の再定義に繋がります。
