「かしこく生きる」と言うと、「かしこく」の方に注意を引いてしまいがちですが、まず「生きる」からお話ししたいと思います。
人生後半戦に感じる「生きる」は、人生前半戦とは違い、人生の終わりへの意識が高まります。単に残り時間が限られているということだけではなく、過去の人生経験が人生後半戦に大きく影響することは言うまでもありません。
人生の良し悪しは、人によって感じ方も違いますが、終わりよければすべてよしと思う人も多いのではないでしょうか。そうは言っても、人生は良し悪しではなく、生ききることが大切です。
「生ききる」とは、最期の一日まで生きていることに感謝しながら、前向きに生きることだと考えています。決して、過去の日々を思い出しながら生きることではありません。
人生後半戦を迎えて棚卸しをするのは、前向きに生きるための棚卸しであり、思い出に浸るためではありません。むしろ思い出を整理することで、人生後半戦を新たな気持ちで迎えられるようにするらめです。
生ききる
「生きる」とは生命活動を続けることと解釈できます。「生ききる」は生命活動を自然の営みとして受け入れるだけではなく、目的を持って自発的に生きることです。
また、生きるためには環境への適応が必要になります。自然界や人間社会へ適応することで生きながらえることができます。
実際には人間が文明を持ち、文化を育むためには、自然界や人間社会に順応してきたからだけではありません。そこには自分の意志を持ち、常にどのように生きるかを考えてきました。
「生ききる」とは、自分の意思の中に目的を持ち、生命活動を目的に合わせて自らを変化させることが必要になります。
人生後半戦の目的が何であるか、それは人によって異なりますが、目的をもって生きることが「生ききる」ことにつながります。
年齢を重ねるごとに自分自身を見つめ直し、これからの人生をどう生ききるかを真剣に考えることが大切になります。
棚卸し
人生は時間の流れそのものです。人生の棚卸しとは、過去の時間をどのように使ったかを顧みることです。そして何を目的とし、どのように行動し、どのような結果に至ったのかを思い返します。
単に思い出すだけでなく、記録や図解などの目に見える形で表すことで、より今までの人生の流れが鮮明になります。さらに、社会の変化も列記することで自分を取り巻く環境の変遷も浮かび上がります。
時間の流れは生きている限り止まることはありません。棚卸しの目的は、過去の自分と環境を客観的に見つめ直し、自分の意志と環境がどのように関係してきたのかを知ることにあります。
例えば、学校へ通ったのは自分の意志ではなく、教育制度があったからではないでしょうか。このように人生の棚卸しは客観的に過去を見つめ直す視点が重要です。
このように客観的な視点を持つことで、これからの人生、特に人生後半戦を見据える際に、自分を取り巻く環境を見通すことができます。その上で目的を持ち、活動計画を立てることが容易になります。
つまり、過去を振り返る作業は、これからの人生をより主体的に生きるための準備段階なのです。自分自身と向き合い、前を向いて歩んでいくための第一歩が、「人生の棚卸し」にあると言えるでしょう。
生きがい
「人生の目的」と似たような考え方に「生きがい」があります。この二つの概念は密接に関連しています。人生の目的が長期的な方向性を示すのに対し、生きがいはより日常的な充実感や喜びを表すと言えるでしょう。
結論から言うと、これらの捉え方は「人それぞれ違う」ということになります。人生の目的を幸福になることと考える人もいれば、生きがいを見つけて人生を送ることが目的だと考える人もいるからです。
私としては、人生の目的と生きがいを完全に切り離すことはできないと考えています。
仕事では「目的と手段を混同してはいけない」とよく言われます。この観点から見れば、生きがいは人生の目的を達成するための手段と捉えることもできるでしょう。
しかし、手段を追求して極めていくうちに、それ自体が目的に変わることもあります。例えば、趣味として始めた絵画が生きがいとなり、やがては人生の目的にまで昇華する場合などが考えられます。
大切なのは、「人生の目的とは何かを考え続けること」です。
それはときに幸せになることかもしれませんし、生きがいを追い求めることかもしれません。答えは一つではなく、時とともに変化していく可能性もあります。人生後半戦においても同じことが言えます。
皆さんは今、人生後半戦の目的について考え続けているでしょうか。このことが次の記事からお話しする「かしこく」の意味につながっていきます。