プロローグ(4):「かしこく生きる」ために ~ 感性・理性・知性のバランス

13:「かしこく生きる」は「人生後半戦」と「シンプルに考える」の目的

 

人生後半になって私が一番恐れているのは「認知症」です。
認知症になると人が変わっようになります。感性も理性も認知症になる前とは変わり、人間性まで変わってしまいます。私は両親の介護を通して、認知症の恐ろしさよりも、為す術の無さに、虚無感で震えが走りました。(サイドストーリより)

 

認知症総数の年次推計

 

人生後半の終わりは命の終わりです。今まで普通に生活していた人が、突然死んでしまうことよりも、ゆっくりと衰えて死を迎えることの方が多くなっています。

医療が進歩した社会ではなかなか死ねません。PPK(ピンピンコロリ)を目指しても、認知症になれば忘れてしまうのが現実です。寿命が延び、高齢化率がさらに上昇すると同時に、認知症数も増加の一途をたどります。(下欄参照)

タイトルの「かしこく生きる」は、「人生後半戦」と「シンプルに考える」の目的です。漢字の「賢い」は頭が良い、知識に長けている、思慮深いなど、優れた人に対して使いますが、あえてひらがな表記の「かしこく」を使用しています。

ひらがな表記にすることによって、「賢く」という表記からイメージする「賢明さ」とは異なることを示しています。「かしこく」とは、考えること自体を表しており、その意図を理解していただけたらと思います。

17世紀の思想家で科学者でもあったパスカルは「人間は考える葦である」と述べました。「人間」と「考える」は切っても切り離せない関係にあります。人間も動物も「感じる」のは同じですが、それは感性で「思う」という心情になります。

そして、「思う」を表現する方法として人間は特有の「理性」を用い、表すのが「考える」です。「考える」は人間が人間らしく生きるための代表的な特徴になります。

一方で、理性で考えずに、感性で行動する人もいます。直感的、本能的に行動する人で、アーティストやアスリートに多く見られます。ただし、行動した後には振り替えり、知性と結びつけて理性を用いて表現する人もいます。

 

14:AIが人間のかしこさの象徴でもある知性と理性に追いついてきている

 

「かしこく生きる」を実践しても認知症を予防できるとは限りません。「かしこさ」とは自分の持つ感性と理性をバランスよく使いこなす能力であり、さらに知性としても蓄えることができる能力です。

人間がまだ機械を発明せずに道具だけで生きていた時代は、道具を使う技術は感性で使っていました。いわゆる「勘と経験」です。これを他の人に伝えるときは見て覚える、やって覚えるという方法が主でした。

機械が発明されると技術は勘と経験から操作方法に変わり、他の人への伝え方もマニュアルが基本になりました。マニュアル作りには理性が必要で、感性だけでは作ることはできません。これも「かしこく」の一部です。

近年はコンピューター搭載型の機械も増えて自動化を行っていますが、コンピューターを動かすプログラムは手作業で作る場合がほとんどでした。最近になってAIが急速に進歩し、プログラムの作成も自動化されてきています。

AIは人工知能ですから知性に追いつくことは予想されていましたが、今では理性にも近づきつつあります。今では人とAIが質問と回答を繰り返すことが可能になるほど進歩しています。

このまま進歩を続ければ、AIは将来的に「かしこさ」を得ることになるでしょう。感性がないAIは迷いがないため理性だけを働かせて瞬時にして結論を導き出します。このような現象面だけから予測し、AIが社会を支配するという言説がまかり通るのも無理はありません。

ただし、前述のように「かしこさ」は感性と理性のバランスが必要ですので、感性だけでも、理性だけでも、まして知性だけも「かしこさ」を表すことは難しいでしょう。

もし、自分が感性または理性に偏って生きていると感じるのであれば、人間らしい「かしこさ」を失いつつあるのかもしれません。

 

15.かしこさを生み出すエネルギーを得る方法 ~  感性・理性・知性のバランス

 

人間としての「かしこさ」は、感性や理性を養い、知性として蓄え、さらに感性と知性に働きかけるという繰り返しで得ることができます。

加齢にともなう「かしこさ」の衰えは、感性・理性・知性の低下よりも、繰り返すサイクルが行われにくくなるからではないでしょうか。それが自然発生的にでも意図的にでも、「かしこさ」が衰える可能性があります。

高齢になると新しことを受け入れなくなってくる症状が目立つのは、前述のサイクルを意図的に行わないようにしているとも考えられます。

「かしこく生きる」ためには、このサイクルを円滑に動かす必要があります。どのようなサイクルでも動かすエネルギーが必要です。例えば、機械にとっては動力エネルギーのなる燃料、人間の場合は肉体的なエネルギーとして食料があげられます。

感性・理性・知性のサイクルを動かすエネルギーには、内的には意欲や情熱であり、外的にはコミュニケーションがあげられます。ただし、感性・理性・知性を同時に働かせるエネルギーでなければなりません。

このようなエネルギーは、日常のわずかなヒントやアイデアに含まれていることもありますし、必ずしも大きな決意や大きな変化を伴なっても得られない場合があります。

感性・理性・知性を働かせるエネルギーを得るには、日常を変えてみるのがもっとも手っ取り早い方法です。そのなかで「今、自分は感性・理性・知性のどの部分を使ってるか」と自分に問いかけてみてください。

感性・理性・知性のバランスを取るとは、三者を均等に配分する必要はありません。アンバランスな配分でも自分らしくいられる三者のバランスを見つけることが大切です。

 

16.人生後半を「かしこく生きる」ためには、感性・理性・知性を使って戦う

 

冒頭の「認知症を恐れている」というのは、認知症になると感性・理性・知性を使うエネルギーがなくなってしまうのではないかという不安から生じる恐れです。

認知症はアルツハイマー型(67.6%)と脳血管性認知症(19.5%)の2つの種類で87.1%を占めます。また年50歳以上の死因は男女差はあるものの「悪性新生物・心疾患・脳血管疾患」がベスト3の常連となっています。(下欄参照)

たとえ毎年のように寿命が延びでも健康寿命との差があり(下欄参照)、健康寿命の後はQOL(生活の質)が下がらないようにするというのが一般的な考えです。これは統計から見た受け身の考え方であり、一歩踏み込んだ考え方に変えてはどうでしょうか。(下欄参照)

「かしこく生きる」ためには、人生後半の「認知症と死因」の現実を学び、また、進歩を続ける現在の予防法と治療法についても知識を得ることもできます。そのためには理性を働かせなければなりません。

一方、加齢による症状は、認知症や死因につながる疾病の症状と似ていることも多いと言われています。年を取れば誰でも体力も知力も衰えると侮ってはいけません。この「侮る」ことが感性の為す仕業なのです。

繰り返しますが、「かしこく生きる」ためには「感性・理性・知性」を働かせるエネルギーが必要です。このエネルギーを得る方法が人によって異なるため、ワンパターンの方法はないので自分で見出すしかありません。

人生後半は楽して暮らす時代ではなくなりました。「人生後半”戦”」として取り組まなければならない時代になったのです。もし人生後半戦を戦いとするならば、戦うのは自分自身だということを忘れてはなりません。

さらに、戦う意志を強くするためには、理性や知性よりも重要なのが感性だということも忘れないでください。

 

 

人生後半を「人生後半”戦」として迎えるなら、環境の変化を踏まえて思考整理を行うためには「シンプルに考える」ことが大切です。そして、「かしこく生きる」には感性・理性・知性をすべて活かし、自分との対話を大切にしましょう。