人生後半を「かしこく生きる」ためには、自分の欲求を知る

人間には「理性・感性・知性」が備わっています。その程度は人さまざまで、高低、強弱、深浅な度で表されます。「かしこく生きる」ためにも、「理性・感性・知性」が大きくかかわってきます。

人生後半に必要な「かしこさ」は、人生後半らしく生きるためのかしこさです。

 

人生後半には2つの「生きる」を真剣に考えなければならない

 

「生きる」には2つの意味があると言われています。1つは、生物学的な「生まれてから死ぬまで」を意味します。もう1つは「生きている間に何をしたか、それはなぜか」という意味があります。

人生後半になると生物学的な意味の「生きる」で気になるのは健康状態です。肉体的なピークはとうに過ぎていますし、思考力、特に記憶力と計算力の衰えを自覚するようになります。

生物学的な「生きる」の衰えを補ったり、回復させるための行動を起こす人は少なくはありません。理性的に考えれば回復行動を行うことがよいとわかっていても、感性的には運動をしたくないこともあります。

もう1つの「何をしたか、それはなぜか」については、人生後半になったら「人生の棚卸し」を行い、自分が本当にやりたいことにチャレンジしようという考え方があります。

人生の棚卸しは自分の状態を理性的に客観視すること、本当にやりたいことは感性を働かせること、そのためには知性が必要であること、というように頭をフル回転させる必要があります

時間は待ってくれませんので、2つの「生きる」を先延ばしせずに考えなければなりません。

 

「それはなぜか」が一番大切なはずなのに、後回しにしていないか

 

前述の2つの「生きる」の説明には「それはなぜか」が抜けています。今までの人生を見直したときに、何をしたかは覚えているのですが、なぜそうしたを覚えているでしょうか。

人生後半をどう生きるかを考える上で、なぜそうするのかを考えることを忘れてはなりません。

人生後半戦には、新しいことにチャレンジしよう、今までの経験を社会に役立てよう、自分らしい生き方をしようという考えがあります。ただ、その前に現在の自分に「なぜ?」と聞いてみてください。

なぜ新しいことにチャレンジするのか、なぜ今までの経験を社会に役立てるのか、なぜ自分らしい生き方をするのか、そして、今までなぜそれができなかったのかを先に考えてみてはどうでしょうか。

その上で、現在の自分の状況を客観的にみて判断し、これから何をするかを決めるべきではないかと思います。

過去にできなかったことを今できるかは、時代の変化も考慮しなければなりません。時代が変化したからこそできることもありますし、時代が変化したためにできないこともあります。

人生後半を「かしこく生きる」ためには、今だからできること、将来も続けられることを選ぶようにすることも大切です。

 

「やりたいこと」ではなく、「続けられること」を考えよう

 

人生後半を「かしこく生きる」ためには、残された人生を「ムダなく、ムリなく、ムラなく」送りたいと思うのは当然です。ただこの考え方は理性が働いた合理的な考え方です。

感性的な思考では、今やりたいことがまず浮かび、次に死ぬまでにやりたいことを考えるのではないかと思います。

シンプルワイズでは「やりたいこと」よりも「続けられること」をおすすめします。

なぜなら、死ぬまでにやりたいことは願望であり、欲求ではありません。前述のように、なぜそれを死ぬまでにやりたいかを考えてみて、願望ではなく欲求だと確信できるのであれば、それをやり続けるべきだからです。

死ぬまで続けられることを考えるためには、理性と感性よりも知性が必要です。VUCAに時代と呼ばれる時代に入り、同じ方法で続けることができなくなるかもしれません。

時代に合わせた方法を手に入れるには理性と感性に加えて知性が必要になります。
理性、感性、知性の3つを働かせながら、死ぬまで続けられることを考え、行動に移すことが、「かしこく生きる」ことになります。

 

自分の欲求を心の中で吐露してみよう

 

最初から「理性・感性・知性」を働かせて、生きる意味や人生の目いついて「なぜか」と考えることは難しいかもしれません。別にかしこく生きる必要がないし、今のままで十分だと考える人もいるでしょう。

人生後半になると達観した考えを持つようになる人もいます。そのような人でも心の中では欲求があるのではないでしょうか。あれが欲しい、ああしたい、ああなりたいなどです。

欲求から行動に移すまでは「理性・感性・知性」を働かせるので時間がかかります。この時間を楽しむかどうかが人生の醍醐味になります。人生後半だからと言って、この醍醐味をあきらめる必要はありません。

人生後半を「人生後半戦」に変えるのは、この醍醐味が必要です。そして醍醐味を持つためには、欲求がなければなりません。どうか、自分の欲求を心の中で吐露してみてください。

 

 

私は、毎年の正月に一年の計画(らしき)ものを作成するときに、なぜこの計画を立てたのかと自問しています。そして心の中で「〇〇〇〇〇するための計画」と唱えています。