前回の記事では、「かしこさ」の意味、理性・知性・感性と思考力・行動力・伝達力、そして寛容さについてお話ししました。今回は、よりシンプルにして「かしこさ」の元になる「力」についてお話しします。
3つの「力」が織りなす「かしこさ」
一般的に賢さを頭の良さという意味で使うことが多いと思います。頭の良さとは、「頭=脳」の良さ、脳の力が優れているという意味で使います。これを「脳力」とします。
頭が良くても運動は苦手という場合もあります。このような状態を運動神経に例えて表しますが、神経だけでなく、筋肉、骨格、体感など肉体の力が優れていることを表し、これを「体力」とします。
頭と体の他に、忘れてはならないのが「心」についてです。心の力は意志力のように表しますが、豊かさでも表します。心の力を気持ちの力という意味で「気力」とします。
「脳力・体力・気力」の3つの力が、「かしこさ」を生む源になります。3つの力のすべてについて優れている人もいますが、重要なのはバランスです。相手と場合によって柔軟に力を発揮できるのが理想的です。
「力」は、強い弱いで表し、他との比較、過去との比較します。したがって、常に相対的であり、固定的な「かしこさ」はありえません。「かしこさ」は変化するのです。
個人力と集団力で発揮する能力の違い
「脳力・体力・気力」をまとめて「能力」と呼ぶこともあります。単に能力と使うよりも「〇〇する能力」が高い低いというように使います。つまり、能力も固定的ではなく変化すると考えます。
「能力」は、前回の記事でお話しした「可能性」と同じく、可能にする力を意味します。能力が高いという評価は、単に一時的に高い力を発揮できるだけでなく、どのような状況でも安定的に力を発揮できることを意味します。
能力を発揮する機会は2通りあります。単独で能力を発揮する「個人力」と複数の人々と協力して能力を発揮する「集団力」です。個人力が集団力に埋もれいように注意することも必要です。
1人では「脳力・体力・気力」のバランスが悪いように見えていても、複数の人が補うような組み合わせができれば集団力として発揮できる場合もあります。このような分野は日本人が得意としています。
「脳力・体力・気力」の1つが飛びぬけて高い人がいる場合は、集団で活動するが足かせになって、十分に力を発揮できない場合もあります。このような場合は個人力として育むべきです。
個人力と集団力の組み合わせの最適化が、さらに「賢さ」を上回る「かしこさ」を生みます。
人生後半戦の4つの「かしこさ」
- 理性・知性・感性
- 思考力・行動力・伝達力
- 能力・体力・気力
- 個人力・集団力・能力(可能性)
4つの視点から「かしこさ」を分類し、相互関連性について説明しました。人生後半戦においても、これらの「かしこさ」は重要な役割を果たしますが、その意味合いは変化します。
1945年時点での平均寿命はほぼ50歳でした。しかし、現在では男女間で差はあるものの、人生は80歳代後半まで続くと考えている人が多く、人生100年時代も現実味を帯びてきました。
人生を50年で考えるのと100年で考えるのでは、自ずと人生に対する考え方が異なります。生命を維持する健康、生活を維持する経済、社会を維持する仕事については、より長期的な展望が必要になります。
人生を50年と捉えるか100年と捉えるかで、人生に対する考え方は大きく変わります。50年であれば、健康、経済、仕事といった点に重点を置くかもしれません
人生が100年であれば、これらの要素に加え、更なる長期的な視点が必要となります。それは「未来に向けての視点」です。人類が進化し、文明と文化が発展したのも未来に続ける意思があったからです。
人生後半戦だからこそ、自分自身の未来だけでなく、日本の未来、地球の未来をも考える余裕を持ちたいものです。
人生100年時代における「年金暮らし」とマルチステージの人生
平均寿命が延び、人生100年時代が現実味を帯びてきた現代では、高齢になってからの生活を「第二の人生」と捉える人が増えています。
「LIFE SHIFT」の共著者であるL・グラットン教授は、「教育-仕事-引退」というこれまでの3ステージの人生から、これからは、多様な働き方や生き方を複数選択していくマルチステージの人生へとシフトすると述べています。
この「引退」しても生活を保障するという考え方が「引退=年金暮らし」を可能にしていました。しかしながら、近年の少子高齢化の影響により、年金制度は将来不安が囁かれ、必ずしも引退ステージでの悠々自適という暮らしができる状況ではなくなりつつあります。
- エクスプローラー (新しい分野に挑戦し続ける)
- インディペンデント・プロデューサー (自らの興味に基づき仕事を選ぶ)
- ポートフォリオワーカー (複数の仕事を組み合わせる)
また、マネジメントの父と呼ばれるドラッカー博士が説く「第二の人生」を設計する方法があります。
- 転職 (新しい分野で第二の職業を見つける)
- パラレルワーカー (複数の仕事を同時並行で行う)
- ソーシャル・アントレプレナー (社会課題解決型の起業)
ドラッカー博士はこうも言っています、「第二の人生をもつには一つだけ条件がある、本格的に踏み切るかなり前にから助走しなければならない」と。
それぞれの説明は次の記事に行うとして、いずれにせよ、上記の例では、第二の人生に「年金暮らし」という選択はありません。決して「年金暮らし」を否定しているのではなく、もっと自分に合った人生後半戦があるということを知ってほしいだけです。
第二の人生は、自分自身で設計し、創造していくものです。そのためには「かしこさ」を発揮し、自己啓発を怠らない姿勢が何より重要となります。健康で心豊かな老年期を過ごすため、私たち一人ひとりが能力を最大限活かした人生設計に挑戦しましょう。
第二の人生とは、突然に訪れるものではなく、労働寿命の限界として予期できることです。
ところが、学校教育では、人生前半戦に向けての教育がすべてであり、後半戦について触れないのは当たり前となっています。
ではどのようにして人生後半戦について学べばよいのでしょうか。
体系だった学習方法がないのであれば、「かしこさ」と同時に独学で学ぶのが最適な方法です。