2045年、どんな人生を送っている? ~ 未来から逆算して、かしこく生きる

2045年、あなたはどんな人生を送っているだろうか?

2045年、戦後100年を迎えた日本は、人口減少と高齢化がさらに進み、社会は大きく変貌を遂げているだろう。
あなたは、その変化の波に翻弄され、不安を抱えながら生きているだろうか?
それとも、自らも変化を受け入れ、時代に合わせた人生を切り開いているだろうか?
それとも…

不安な未来を生き抜くために

世界各国では権力闘争を伴う選挙が相次ぎ、同時に戦争や戦争の火種を抱える国々が世界を巻き込み、不安定な情勢を作り出している。

VUCA(変動性・不確実性・複雑性・曖昧性)という言葉が示すように、このような不安定な世界情勢は過去にも何度も繰り返されてきた。

人々は安定を求めて是正しようとするが、結局のところ、自分の生活に影響のある範囲だけしか考えることができない。

遠く離れた場所の選挙や戦争は、一応は気にしても、自分に降りかかるとは思っていないように見受けられる。

現状の日本の問題はといえば

一方、日本国内はどうだろうか。相も変わらず政治資金と物価高の話が中心だ。

日本が直面している最大の課題は、社会全体の高齢化、ひいては社会全体の老朽化である。高齢社会ではない、社会全体が老朽化している問題だ。

日本だけではない、かつての先進国が老朽化し、後進国が蛙飛びで先進国に近づき、追い抜いている国が現れ始めている。リープフロッグ(蛙飛び)現象が起きているのだ。

後進国を発展途上国や新興国と呼び方を変えたところで、先進国は自分たちが世界をリードしているといるスタンスは変わらない。現状維持を模索ているだけでは世界は変わらない。

100年後の日本はどうなるか

1868年の武家政権の終了から明治維新による天皇制が大日本帝国をもたらし、77年後の1945年の敗戦と同時に現在の日本国となった。

2045年には戦後100年を迎える。この前後で日本のパラダイムシフトが起きるかもしれない。なによりも100年間変わらない日本の礎となる憲法を時代に合わせる必要がある。

社会の高齢化も限界に達し、人口高齢化率は36.3%、総人口1億880万人と予測されている(令和5年版高齢社会白書)。限界集落も増え、消滅する集落もあるだろう。

このような予測はすでに示されているにもかかわらず、小手先の対策を改革と称して対応しているに過ぎない。

例えばこんなことが起きる

女性の寿命が長いことから高齢者の割合は女性比が高くなる。昭和生まれの女性が多いことから、当時の社会背景を考えると、これからの労働力として過度に期待することはできない。

限界集落だけでなく、過疎地域では、インフラの維持や公共サービスもままならなくなる。そうなれば、近隣の市町村に移住するか、縁故を頼って移住することになる。

移住先となる自治体では、さらに高齢化率が高くなり、公共サービスが求められ自治体の負担が大きくなるという悪循環が起きる可能性もある。

このような状況では、世界情勢を踏まえて経済を支える産業のシフトや安全保障の意識を高めるよりも、自分の生活に関わる社会福祉を優先することを望むようになるだろう。

今のままでは日本の未来は暗い、今のままではだが。

ではどうすればよいのか

まず、大切なのは、「現状維持でいい」と考える人も、「現状を変えたい」と考える人も、互いの考えを尊重し、否定しないことだ。高齢者にありがちなマウントをしてはいけない。

次に、今のままではダメだ、政治や行政が悪い、若い世代が考えるべきなど、他の人を当てにするのではなく自分事として考えてほしい。

そして、ステレオタイプで考える必要はない。地域での社会参加、趣味やボランティア、健康に留意した生活、モノを少なく節約するなどはあえて考えるようにしない。

情報があふれている時代だ。いつのまにか刷り込まれた考えかもしれない。

条件を付けてシンプルに考える

これから未来のことを自由に考えてみようと言っても難しいかもしれない。

当ブログ「シンプルワイズ」では「シンプルに考える」を基本的な考え方にしている。自由に考えるのが難しければ、条件を付けるとシンプルに考えることができる。

1つめの条件は、1945年に終戦を迎え、日本国となってから100年後の節目となる2045年の未来を考えてみてはどうだろう。

2つめの条件は、自分や社会の変化を受け身で考えるのではなく、自分の子や孫の仕事や生活はどのように変化しているかを想像してみてはどうだろうか。

過去の繰り返しではない未来がよい。また、データによる予測も重要だが、希望的な未来予想という考えでよい。予想の中から実現できることを見つけ出せばよいのだ。

まずは考えることから始めよう。

注意しなければならないこともある

注意しなければならないのは、終活リストや死ぬまでにやりたいことのようなバケットリストではない。自分の人生をより良く、幸せにするということでもない。子や孫のために考えるのだ。

2045年には、子や孫が自分の介護や病気のために寄り添ってくれる未来を予想するのか、それとも自分自身のために仕事に生活に勉強に頑張っていることを予想するのか、という具合にだ。

これは社会福祉制度と大きく関わりがある。では社会福祉制度についてどのくらい自分が知っているだろうかか。高齢者に対する医療や介護は、知識と時間とお金が必要になるが大丈夫だろうか。

子や孫を当てにするしないではなく、現状の制度とこれから変わる予定がある制度について知りたいだろうかか。もし、知る機会があれば積極的に参加したいという気持ちはあるだろうか。

どこが「かしこく生きる」なのか

自分の将来の姿を考えるときには、とかく自分の目線、主観的に考えてしまう。1つめのかしこさは、「子や孫の目線で考える」ということだ。

医療も介護も公的な保険があるが、保険があるから安心ととはいかない。あるから安心ではなく、知って初めて安心できるのだ。2つめのかしこさは「知識欲を持ち続ける」である。

3つめのかしこさは「行動する」である。知るには独学以外にも他の人から学ぶことも大切だ。それも専門家や経験豊富な自分の弱さを受け入れてくれる人から学ぶのがよい。

どうだろうか。

3月のテーマは「かしこく生きる」である。これからの生き方を考えるだけでなく、行動に移してほしいという意図がある。決して、子や孫を当てにせよということではない。

くれぐれも誤解なきよう

 

 

子や孫がいなければ、子や孫の世代がどのように感じ、どのような人生を送っているかを想像してほしい。
このまま少子化が進めば、子や孫がどんどん少なくなる。
そういう未来が近づいているのだから