今年ほど同じ世代の多くの友人知人が亡くなった年はなかった。自分より上の世代では、団塊の世代の有名人も多く亡くなった。いよいよ本格的な世代交代がやってきたのかもしれない。
私自身も数年前に心筋梗塞を発症し、一命をとりとめたものの、いまだに再発の可能性を拭いきれない。昨年も心房細動を起こし、またもや救急外来(ER)に運ばれたのでなおさらだ。
01.突然、心臓が止まった
心筋梗塞になったときに、いよいよ自分もこれまでかと、覚悟というか諦めの気持ちになった。胸元になにかが閊えて息ができなくなり、苦しくなって目の前がまっ暗になってからは断片的な記憶しかない。
テレビでよく見る、救急車内での処置、除細動器での電気ショック、ストレッチャーで運ばれ、手術台に移され、ガチャンガチャンという音で集中治療室(ICU)で目が覚めるまで、1日半の記憶がほぼなかった。
後で聞いたところ、2度心臓が止まったそうだ。そのまま息を引き取っていたかもしれなかった。ICUのベッドの上で「死ぬときなんてあっけないもんだ」と頭に浮かんだのを覚えている。
02.余生を迎えた心の変化
あれから数年が経った。その間にコロナ禍になり、再発しても病院では受け入れられないかもしれないと主治医から釘を刺され、用心に用心を重ねて過ごしてきた。
それでもコロナ禍の終盤に心房細動を起こし、また救急車のお世話になった。1日入院で退院することはできたが、このときをきかっけに「余生」どう生きようか真剣に考え始めた。
数年前に2度心臓が止まったということは、2度死んだということで、危うく3度目になりそうだったのだ。こうなるとラッキーとばかり言ってられない。心筋梗塞後の人生はなかったかもしれない「余生」なのだ。
03.余生の過ごし方よりも健康が大切
「余生」をどう過ごすか、楽しく過ごす、充実した日々を送る、終活をするなど、世間でよく言われる余生の過ごし方は、私には当てはまらなかった。なにより大元になる生きることの方が大切だからだ。
元々、ストレス性の高血圧症を持病として抱えていた。長年かかりつけている病院では本態性高血圧という診断が下り、降圧剤が処方されていた。
薬に頼るだけでなく、規則正しい生活をし、食事に注意し、適度に運動し、夜もよく眠れた。健康と体調に注意をし、普通の生活を送っていた、あの日までは。
04.一冊の本がシンプルワイズへつながった
心筋梗塞の後は、心臓リハビリーに通い、塩分制限の食事療法を行い、ストレスがかからないように人間関係も少なくした。見かけは健康で悠々自適に暮らしているように、ご近所からは思われていたようだ。
内心は「これからどうやって暮らしていこう」と考えてばかりいた。もちろん、ストレスがたまらない程度に、根を詰めないようにしていた。30分歩くと息が切れ、コップ半分のビールで動機がするなど、今までの自分の体とは違うことが身に浸みていた。
「なにもできやしない」と思っても、それは何もしないことへの言い訳でしかなかった。そんなことを考えながら、実家を片付けていると一冊の本が目に入った。