人生後半になって「何によって覚えられたいか」を考えてみる

前回は心筋梗塞になって、退院後の生き方を「余生」とは考えられず悩んでいた時に、古い本を手に取ったところまでをお話しした。

その本こそ2000年に上田惇生先生が編訳、上梓した「はじめて読むドラッカー【自己実現編】- プロフェッショナルの条件 - いかに成果をあげ、成長するか」だった。

 

04.かつての座右の書に目を通す

 

一時は座右の書として枕元に紙本を置き、Kindleに入れて持ち歩き、時間があれば読んでいた。ドラッカー先生の本は、情報が多すぎて一度で頭に入らないのだ。

きれいな状態で残ってたので多分2冊目の本だと思う。1冊目はメモ書きと線で印をつけ、付箋なども貼ったのでこんなにきれいじゃない、と思いながら目次を読み返していた。

「Part5 自己実現への挑戦」から目が離せなくなり、本編を読み返した。この章には第二の人生、知識社会、そして「何によって覚えられたいか」という名言に続く章だった。

 

05.成長を維持するための強力な手法

 

名言は覚えていたが、第二の人生に何が書かれていたかは覚えていなかった。読み直せば、今の自分の世代に語りかけていることばかりである。

自分では残りの人生を「余生」と考えたのだが、ひまつぶしで余生を過ごす気にはなれなかったのだ。この本には「成長を維持する」ための強力な手法が書かれていた。

その手法とは「教えること・移ること・現場に出ること」の3つだった。最初は自分の現状にこの手法がどう役に立つのかまったく分からなかった。

 

06.限られた時間、知識、健康状態

 

人生後半になって「何によって覚えられたいか」についてもう一度考えてみた。限られた時間、限られた知識、限られた健康状態で覚えられるようなことができるのだろうかと。

1.自分が毎日行っていることを整理して誰かの役に立つようにする
2.誰かとは身近にいる人ではなく、広く世の中に必要としている人に問いかけてみる
3.口頭ではなく、文書を書き、インターネットで必要とする人に届ける

と、ここまでは考えついたが、これでは「教えること・移ること・現場に出ること」には近づいたものの「何によって覚えられたいか」の答えにはなっていない。

 

07.一冊の本がシンプルワイズへつながった

 

ふと、人生に何をやりたいか、余生で何をやりたいか、ということにこだわり過ぎているのではないかと思うようになった。いっそのこと何をやりたくないか、何をしないかに変えてみようと思った。

「何をしないか」を繰り返し自問していけば、最後に残ったものが人生後半でやりたいこと、やるべきことではないか、このように考えると気が楽になった。

そして、何をしないかから「シンプルに考える」が生まれ、何によって覚えられたいかから「かしこく生きる」が生まれた。正直、「何によって覚えられたいか」の答えは出ていない。

 

 

「Part5 自己実現への挑戦」の27ページを読み終えて我に返った。実家の整理をしていたのだ。そして、思いついたようにかつて座右の書としていた古い本を探してみた。